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「巨大なる凡庸」──光市母子殺害事件とBPO

*長文御免。斜め読み推奨。

4月22日の光市母子殺害事件差戻控訴審判決に関する報道は、国民の深い関心のもと、多大な時間と量の情報がメディアを通して発信された。差戻控訴審をめぐる動向が、被害者・弁護人双方の記者会見や資料映像、有識者等のコメントを含め、マスメディアを通じて大きく伝えられてきたことが、いっそう広く社会的関心を高めることにつながったといえるだろう。

ところで、判決に先立つ4月15日、BPO[=放送倫理・番組向上機構]から「光市母子殺害事件の差戻控訴審に関する放送についての意見」というレポートが発表されたことを知る人は、数少ないのではないか。
BPOとは、NHKと民放連、民放連加盟会員各社によって組織された任意団体で、文字通り「正確な放送と放送倫理の高揚に寄与すること」を目的としている。4月11日のニュースで「児童の裸、特に男児の性器を移すことについて」注意喚起をした発信元といえば、分かるだろうか。
レポートは長文なので、「報道とメディアを考える会」の解釈で極端に要約すると──

光市母子殺害事件差戻控訴審の公判や集中審理を機に、マスメディア、とくに民放各局は、ニュース番組や情報番組で大きく採り上げてきたが、その内容のほとんどが被害者遺族の発言や心境に同調し、被告や弁護団に反発・批判するニュアンスが強い内容、つまり被害者遺族と被告・弁護団の法定外の対立構造や、被告・弁護団の奇異さをクローズアップするにとどまり、「集団的過剰同調番組」に陥る傾向にあった。
民主主義社会裁判の特徴である「当事者主義」(当事者=検察官/被告・弁護人)のもと、裁判は裁判所が主宰するという初歩的な認識に欠け、とくに検察官の主張や立証の内容を伝えたものが皆無であったことは、公正性・正確性・公平性を旨とする「放送倫理基本綱領」等を逸脱するばかりか、放送人の社会的責務として問題がある。裁判員制度導入を目前にしたいま、あらためて、事件・犯罪・裁判報道の重要性に立ち返り、前進することを希望する。

……というものだ。
この意見書は、昨年11月「『光市事件』報道を検証する会」から放送倫理上の問題点を検証するよう申し立てを受け、申し立ての18番組のみならず、第1回公判、第1回集中審理、第2回集中審理を機に放送された8放送局、20番組、33本、7時間半の放送録画について審議したもの。放送現場内側から問題点を捉え、その教訓を今後に生かすため、番組の制作スタッフへのヒアリング調査等も行っている。
以下、印象的だった文言を抜粋してみた。

       *       *       *

*「命乞いのシナリオ」がどのような文脈や根拠から出てきているのかを掘り下げていないため、被告の奇異な発言だけが浮き彫りにされ、法廷審理で何が争われているのか、視聴者にはわからない構成になっている。
*番組制作者がそれでも死刑制度廃止論者が弁護人になったこと自体が重要テーマであると考えるなら、きちんとした取材に基づいて、それが批判に値する事柄であるという理由を示す必要がある。
*精神鑑定の際の発言は、それを基に鑑定人がどう判断したかこそがポイントだが、鑑定結果に関する紹介はない。
*感情のおもむくままに制作される番組は、公正性・正確性・公平性の原則からあっという間に逸脱していく。それはまた(中略)視聴者・市民の知る権利を大きく阻害するものとなる。
*被害者遺族が凛として入廷していく姿や、集中審理傍聴後の会見等で、愛する家族を失った無念さをにじませながらも冷静に語る様子には、誰しもが旨を打たれるものがあった。それだけにこの対比的手法には、刑事事件における当事者主義について視聴者に誤解を与える致命的な欠陥があった。
*スタジオの司会者やコメンテーターが、被告・弁護団を強く非難し、被害者遺族に同情・共感を示す──その繰り返しが基本になっている。これでは「悪いヤツが悪いことをした。被害者遺族は可哀想だ」という以上のことは伝わってこない。(中略)画面には、取材し、考察し、表現する者の存在感が恐ろしく希薄である。そのような番組しかなかったことに、委員会は強い危惧を覚えないわけにはいかない。
*気味の悪い事件・犯罪が頻発する今日、この安易な対比的手法は事件それ自体の理解にも、犯罪防止にも役立たないことは明らかであり、深刻に再考されるべきである。
*事件・犯罪・裁判を取材し、番組を制作する放送人たちが、テレビの凡庸さに居直るのではなく、(中略)いま立ち止まっているところから少しでも先へ進み出ることを委員会は希望する。

       *       *       *

果たして、この意見書の内容が、判決時のマスメディア報道に生かされたかどうかは、各自の判断に任せよう。また意見書の内容についても、異論があるだろう。
しかしこれだけ耳目を集めている光市事件であるのに、「男児の裸」ニュースに比して、BPO意見がなぜ私たちに届いていないかは、着目の余地がある。
また、このBPO委員会決定(意見レポート)は、資料編を含めA4判40頁(1頁あたり約1300文字)に及ぶ。問題の重要性や所在を明らかにするほか、真摯に報道・放送のあり方を問い、未来への期待をもあふれる格調高い文章だ。40頁もの文書を、多忙な現場取材クルーやコメンテーターをはじめ、この報道に携わるスタッフが読んでいるとは思えなかった。
BPOには、ホームページに意見書全文を掲載するばかりでなく、一般市民・視聴者に届く情報発信を期待するとともに、加盟団体・放送局に対し、BPOの存在とその発信内容を、放送を通じて伝達するよう働きかけを願いたいものだ。
ちなみにタイトルに引用した「巨大なる凡庸」とは、33本、7時間半に及ぶ放送を見終わった後、委員会の席上で一委員がもらした感想だそうだ。

★BPO[放送倫理・番組向上機構]
http://www.bpo.gr.jp/
(レポートは、「委員会決定」の項からダウンロードできる)

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