♭無手勝流「インタビュー世論調査」を敢行
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めまぐるしく変わる国際金融情勢および社会情勢、政治状況のなかで、メディアウォッチや分析がおいつかないまま、時間ばかりが過ぎてゆく。
この3ヶ月間の「報道とメディアを考える会」メンバーの関心事といえば、筑紫哲也氏が遺した言葉「ジャーナリストの役割は権力を監視する番犬」だったり、元厚生事務次官刺殺事件の一面的な報道のされ方(故人の「わたり」と受け取った退職金については触れられることがない)のほか、年末年始のニュースを独占した日比谷公園の「年越し派遣村」の似通った報道内容など。
先日は、『週刊新潮』(2009年2月5日号)に87年の朝日新聞阪神支局襲撃事件(02年に公訴時効)実行犯と名乗る男の手記が掲載されたが、これについてはテレビではほとんど取り上げられなかったように思う。当の朝日新聞では1月29日付の夕刊で、手記は事実と食い違う旨の524文字の記事があっただけ。ジャーナリズムの根幹をゆるがした大事件、「事実と食い違う」ということを喧伝しないのは少々不自然ではないか、等と考えているうちに、次の関心事が浮上し、かたちにならないまま、時間が過ぎてしまったというわけだ(事件と朝日新聞のいう事実関係の食い違いについては『週刊文春』2月12日号に詳しい)。
もちろん「定額給付金」論議をはじめとする麻生内閣の施策や予算委員会でのやりとり、急落した麻生内閣支持率をはじめとする世論(調査)の動向……等々は、重大な関心事であることはいうまでもない。2月9日の朝日新聞一面にも、極太文字で「内閣支持率最低の14%」という文字が躍った。
◆ 6万4000人が「麻生内閣に対する報道姿勢にノー」
昨年末、ニコニコ動画「ニコ割アンケート」(2008/12/16 :株式会社ニワンゴ)で、興味深い世論調査結果が出ていることを知った。麻生内閣支持率や政党支持率に並ぶ設問で、「麻生内閣に対する報道姿勢にノー、79.2%」という結果が出たのだ。
具体的には、「麻生内閣に対する報道各社の姿勢について、どういう印象をもっていますか?」という問いに対し、「国民にとって重要なことを報道してくれている」(5.6%)、「特に問題はないと思う」(15.2%)を大きく引き離し、「あげ足取り的な報道が多すぎる」と回答した人が、約8割にのぼった。
国民のメディアリテラシー力向上をねがう我々にとって、興味深いニュースであったことはいうまでもない。
JNN(TBS系)やANN(テレビ朝日系)、FNN(フジテレビ系)など、大マスコミの世論調査は、TVのニュースやワイドショーのほか予算委員会の質疑などでも、例えば「国民の8割が反対している定額給付金」といった具合に、繰り返し採り上げられている。しかし、ニコ割の調査結果がそういったオモテ舞台に出てくることはないし、メディア接触の主体がテレビである人が知ることはないだろう。まして、大マスコミの報道姿勢に対する(都合の悪い)結果なら、なおさらだ。
ちなみに12月時点でのニコ割の麻生内閣支持率は、32.8%(直近の1月28日調査で30.2%)。冒頭の朝日新聞社の世論調査結果(14%)と見比べてほしい。割合では、およそ倍数なのだ。ニワンゴでは、「新聞やテレビなどの調査結果に比べて、ネットでの支持率が高い」(ニワンゴ 2008年12月17日プレスリリースより)と説明しており、調査対象者年齢の違いなどは容易に想像できるとしても、この大きな差異は、どうも不可解だ。
◆調査方法・概要を確認する習慣をもとう
我々一般市民は、世論調査結果いえば、あたかもそれが唯一無比の正しい数字であるかのごとく、鵜呑みにしてしまいがちだ。しかし、内閣支持率に、媒体社により差が出ているのは何故か。また、「定額給付金制度に反対が8割」といった場合のもとの調査では、どういった文言の設問や回答項目であるのか、調査対象のサンプル数、調査方法等、調査概要を確認する習慣をもちたい、多くの人たちにもってほしい、と思う。
例えば、定額給付金に関して、賛成・反対の割合で論じられがちだが、実際の調査では、(定額給付金制度について)「評価する・評価しない」(FNN)であるなど、いわゆる「反対」とは、微妙にニュアンスが異なっている場合がある。
しかも、JNNの調査では「給付金制度に対するあなたの考え方に最も近いモノを」選択する方式で、「非常に評価できる」「ある程度評価できる」「あまり評価できない」「まったく評価できない」の4段階のなかからしか、選択できない。
回答者の立場に立てば、「どちらでもない」(評価ゼロ)をまんなかに加えた5段階であるほうが答えやすく、リアルな結果がでるのではないかと素人考えで思うのだが、この中間層を、敢えて振り分けさせたいという回答設定の意図が読み取れるのだ。
◆RDD方式では高齢者や主婦の回答者が多くなる
近年の調査法の特徴に、コンピュータ活用がある。例えばいまや世論調査の主流になっている「RDD(電話)方式」。RDDは、Random Digit Dialingの頭文字で、コンピュータの乱数計算を元に電話番号を発生させて架電、応答した相手に、コンピュータの音声で質問しプッシュホンで回答する方法だ。電話帳に非掲載の世帯も対象にできるなど、一見、恣意や作為が入り込めず、公正・公平な調査に思える。
しかし、冷静に考えてみればわかるように、そもそも「固定電話」はどういう人がとるのか……が調査結果を左右する。RDD方式の回答者は一般に下記のような傾向があるといわれている。
・高齢者>若者
・女性>男性
・無職(専業主婦・年金生活者)>有職者
・一戸建て>マンション
・町村>大都市
つまり、高齢者・女性・無職・一戸建て・町村の方に偏った意見を収集してしまう。また単身者世帯が急増するなか、携帯電話やIP回線だけで、固定電話そのものをもたない層も出現しているが、こういった層の意見は、まったく反映されないことになる。
このほか、RDD方式では、調査主体に好意的であるかどうかで、回答率や回答内容が左右される傾向にあるそうだ。例えば、朝日新聞社の世論調査には回答拒否しても、NHK調査には応じる……といった人たちがいることは容易に想像できるだろう。我々「報道とメディアを考える会」メンバー間では、全員が職業をもち、多忙であるせいか、自宅で世論調査の電話を受けたとしても、朝日新聞社もNHKにも、「回答する」者は皆無だったことを申し添えよう。実際、あなたなら、どうするだろうか。
◆朝日新聞社の40倍の母数をもつニコ割世論調査
ところで、こういったRDD方式のデメリット等についても、統計学的には、調査対象全体の母数(サンプル数)が大きければ、大きいほど、より正確な世論を反映すると考えられる。しかし、各社の母数(有効回答数)をみてみると、下記のとおりで、(あんなに大々的に喧伝するのに)意外と少ない、と感じてしまった。「ニコ割」(08年12月16日実施)では8万616人と、朝日新聞のサンプル数の約40倍だったからだ。
・ 朝日新聞社世論調査(2月7・8日実施)………………………2036
・ JNN世論調査(2月7・8日実施)……………………………1200
・ 報道ステーションANN世論調査(1月11・12日実施)……1000
インターネット調査は、もちろんPCおよびインターネットユーザーでなければ回答できない、サイト自体の特徴や特殊性による嗜好など、回答者プロフィールによるバイアスがあることは理解できる。しかし、8万人超の意見を吸い上げていることは事実なのだ。大マスコミはこの意見にも耳を傾けるべきだ。
ここで、ニコ割アンケートの調査方法を紹介しよう。
ニコニコ動画で、動画を視聴中の全ユーザーを対象に行われるもので、アンケート開始時に動画再生部分で一斉に実施されるもの。アンケートの開始時や日程は不定期でしかも告知していないため、多くのユーザーの意見が反映される仕組みになっている。もちろん、インターネットを使う、動画を見ている、ニコニコ動画のユーザーが対象でしかないから、若年層が多く、世論一般とはいえないし、実施主体もその点は、よく理解したうえのデータであることを強調している。
ニワンゴではこの独自の調査方式について、「ネット世論調査は、不特定多数のユーザーが、同時刻にアンケートに参加するという調査形態であるため、これまでのネットを活用したアンケートと異なり、組織的な投票が非常に困難になっています。また、また従来ネットでは、声の大きな少数派の意見がクローズアップされる傾向にありましたが、(中略)リアルなネット全体の意見調査が可能です」(2008年12月17日 プレスリリースより)と説明している。
いずれにしろ、世論調査結果は、そのまま一人歩きする数字を鵜呑みにするべきではないということだ。とくにTV画面のショルダーに出てきたときには要注意。いまはホームページなどで確認できるので、ネタもとにあたり、複数の調査を読み比べ、また国会やTV番組などで、どう使われてゆくかを一人ひとりが自覚的にウォッチして読み解くことが必要だろう。
少なくとも、麻生バッシングの報道姿勢に対し、ニコ割回答者の約8割、つまり約6万4000人が、「あげ足とり」的な報道姿勢を問題視したのは事実だ。
世論調査のあり方や数字に対しても、国民は、いずれはいまと違った考えをもつようになるのではないだろうか。
地上波TVの視聴率も低迷し、新聞購読者数も激減するなか、大マスコミは国民(=情報の受け手)のジャーナリズムに対する期待を忘れて、「裸の王様」のまま歩み続けてしまうのだろうか。
[参考サイト]
★最新版! ネット世論調査「内閣支持率調査 2009/01/28」ニコニコ動画
(登録が必要)
http://www.nicovideo.jp/watch/nm5973257
◆ ニコニコ動画 ニコ割アンケート結果(2008.12.17)
(動画版)
http://www.nicovideo.jp/watch/nm5566789
(テキスト版:調査の結果詳細)
http://www.nicovideo.jp/static/enquete/o/20081216.html
◆(株)ニワンゴ プレスリリース(2008.12.17のpdf)
http://info.niwango.jp/press/2008.html
◆JNN世論調査(TBS系)
http://news.tbs.co.jp/newsi_sp/shijiritsu/
◆報道ステーション・ANN世論調査(テレビ朝日系)
http://www.tv-asahi.co.jp/hst/contents/PublicOpinion/cur/index.html
◆朝日新聞 世論調査 質問と回答(2009.2.9)
http://www.asahi.com/politics/update/0209/TKY200902090263_01.html
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9月1日、午後9時半──。福田康夫内閣総理大臣の辞任会見以来、テレビをはじめとする各メディアは、政権の話題でもちきり。芸能人や文化人のコメンテーター、野党議員、マスコミの解説委員、政治評論家までが、そろって安倍氏辞任になぞらえた「突然」と、福田氏の「無責任論」の大合唱。若者やネットの世界では「あなたとは違ってね」が流行語になるというおまけもついた。
◆ときには新聞「紙」を読もう
翌朝9月2日の全国新聞各紙は「福田首相辞任」の記事がトップに踊り出た。各紙をざっと見て印象的だったのは、各紙の1面で、社説とは別に、政治部長論など責任ある立場の人の署名記事が掲載されていたことだ。
例えば──
┌────┬────────────────────┐
│日経新聞│麻生後継へ「あうん」の呼吸 │
│ │ 客員コラムニスト 田勢弘康 │
├────┼────────────────────┤
│産経新聞│あの強い政治家どこへ〜首相退陣に思う │
│ │ 論説委員長 皿木喜久 │
├────┼────────────────────┤
│読売新聞│政治の責任自覚せよ 政治部長 赤座弘一 │
├────┼────────────────────┤
│毎日新聞│信念なき政治の漂流 政治部長 小松 浩 │
├────┼────────────────────┤
│朝日新聞│野党に譲って民意を問え 編集委員 星浩 │
└────┴────────────────────┘
(2008年9月2日 東京・朝刊)
傍目(はため)には突然に見えても禅譲を前提に周到に考えた決断であることを指摘したもの(日経)をはじめ、吉田茂元首相を題材にしたエッセイ風の記事(産経)、民主党を含めた政治全体の責任を問うもの(読売)、固い信念をもって国家を率いる指導者を持たない日本国民の悲劇を謳うもの(毎日)、野党に政権禅譲すべきと意見を明確にしたもの(朝日)と、タイトルからも、それぞれの論調の違いが読み取れると思う。
新聞の購読者数は減少し、ネットニュースやTVのニュースワイドが幅を効かせる昨今。ニュースを断片的にとらえることが日常的になってしまったが、新聞を手にとってみると、今回の福田首相辞任のニュースでも、1面では会見の趣旨を伝え、政治面では詳細な会見の要旨や解説、支持率・政権の歩みなど、社説で新聞社としての意見を表明、そして社会面で町の人や識者のコメントを伝えるなど、1つの事柄について立体的に報じていて、考える材料を提供してくれる。ましてこうして読み比べしてみると、各社の報道姿勢が読み取れるほか、行間(脈略)から真実に近づくことができる。
複数の新聞を読み比べするにはたいへんな時間と労力が必要だが、あらためて新聞の使命(*)を評価したいと考えた。
*「おびただしい量の情報が飛びかう社会では、なにが真実か、どれを選ぶべきか、的確で迅速な判断が強く求められている。新聞の責務は、正確で公正な記事と責任ある論評によってこうした要望にこたえ、公共的、文化的使命を果たすことである。」(新聞倫理綱領より)
◆解散・総選挙ではなく、野党への禅譲を進言?
ところで、報道ステーションやサンデープロジェクトなど、テレビでもおなじみの朝日新聞星浩編集委員の記事を読み返して、目を疑った。
「自民党がいま、国民のためになすべきことは、自民党内の政権のたらい回しではない。民主党に政権を譲り選挙管理内閣によって、衆院の解散・総選挙で民意を問うことである。国民の手に『大政奉還』して、新しい政治を築き上げる時だ。」(朝日新聞東京本社2008年9月2日朝刊「野党に譲って民意を問え 編集委員 星 浩」より)
…………? さらっと読み飛ばした人は、もう一度読み返して欲しい。
解散・総選挙によって民意を問うのではなく「民主党に政権を譲り選挙管理内閣」と明言している。つまり、我々が中学の社会(公民)の授業以来持ち続けている常識(=議会制民主主義の我が国では、衆議院で多数を占める政党が政権を担当する)とは異なる内容だった。
星氏の論評は何度読み返しても、“福田氏は解散・総選挙で民意を問うべき”ではなくて、“まずはいったん民主党に政権を禅譲するべき”である。戦後民主主義のもとに生きている我々には、到底受け入れられないのではないだろうか。
しかし星氏の筆は、次のようにすすむ。
「自民党が誕生する前の保守政治の歴史には、時の政権が行き詰まったら『憲政の常道』として、野党第1党に後を委ねる慣行が成立していた時期もある」(前出)と補足されている。
「憲政の常道」を調べてみると、「二大政党の党首が交互に首相となることを立憲政治の当然のあり方とする考え方。第一次護憲運動のとき、超然内閣に反対して主張された」(デジタル大辞泉 小学館)とあり、大日本帝国憲法下の慣例でしかないことが判った。また現行の日本国憲法下でも持ち出された例はあるようだが「内閣の失政による総辞職」が要件であるため、今回の福田辞任はこれに当たらないだろう。
星氏の文章を読んだ当初、(夜の会見で朝刊の締切時間に制約があったため)整理部でのチェック漏れかとも考えたが、どうやら政党政治の歴史を熟知したうえで福田首相の「失政」を(ご自分の判断で)既定のものとし、周到な文章のもとに(選挙以前の)「民主党への政権禅譲」を提言したことになる。しかし「憲政の常道」という伝家の宝刀を主張できるのは野党第1党である民主党自身であって、国民ではない。つまり、星氏は、新聞という社会の公器を使って民主党代表へのメッセージを送ったのではないかとも考えられる。
◆民主党代表小沢一郎氏の発言も「憲政の常道」に呼応
星氏の提言との関係は不明だが、会見の翌日の午前10時から民主党本部で開かれた緊急の幹部会の席上、「小沢氏は『福田政権が行き詰まったわけだから、憲政の常道として、野党へ政権を譲るべきだ。そうでない場合は、一刻も早い衆院解散・総選挙で国民の信を問うべきだと主張しよう』と述べた。幹部会はこの小沢氏の発言を了承した。」と伝えられている(Yahoo!ニュース/9月2日11時53分配信/産経新聞)。また、民主党ホームページのニュース(2008/09/02)でも「憲政の常道を踏まえれば、福田政権が行き詰まったからには、野党に政権を譲れと主張することが大事だとの認識を示し……」とある。
つまり、我々国民は、選挙によってではなく、戦前の慣例「憲政の常道」によって、政策論議に触れる機会も、政権を選ぶ権利をも奪われていた可能性もあったということらしい。しかし各マスコミもほとんど取り上げなかったところをみると、また民主党もその後、声高に主張していないところをみると、さすがに「憲政の常道」による野党への政権禅譲は、(支持政党に関わらず)現在の国民意識と乖離していることを理解しているようだ。
言論・表現の自由において、また法的な解釈において、星氏の論説は問題がないのかもしれない。
しかし、それでは、前回の衆議院選挙で自民党を第1党とした「民意」はどう解釈されているのか。ここでは衆院選と参院選の重みの違いには言及しないとしても、現在の「ねじれ国会」状態について、議論をすすめるという意味で、歓迎する民意の表れと考えられるのではないか。
いまの我が国のおかれている危機的状況のもとで、新聞の公共的使命に立ち帰るとき、主権である国民の立場を忘れ、「一定の政治的意図」に基づいた論評が「正確で公正な記事」といえるのか、その新聞人としての見識に、はなはだ疑問が残る。
この記事は「民意を問うため」に判断材料を国民に提供することよりも、自身(もしくは自社)の主義主張で世論誘導を図り、巧妙なすり替えがなされているようにも見えるのだ。
◆ 品格あっての表現の自由と報道姿勢
メディアウォッチを始めてから、テレビ局や新聞社、また番組や媒体ごとに一定の方向性や意図のもとに、制作されていることが判ってきた(意図的に報道しないことも含めて)。マスコミに限らず、我々国民には、言論・表現の自由があるが、それは新聞倫理綱領が謳うように「すべての新聞人は(中略)読者との信頼関係をゆるぎないものとするため、言論・表現の自由を守り抜くと同時に、自らを厳しく律し、品格を重んじなければならない」ことが前提だろう。
今回の記事に限らず、朝日新聞やテレビ朝日には、偏向報道や姿勢が指摘されることが多く、ネットの保守系ブロガーたちからは「アカヒ」と揶揄されている。このほか、元朝日新聞記者の稲垣武氏が書いた『新聞・テレビはどこまで病んでいるか』(小学館文庫)をはじめ、『これでも朝日新聞を読みますか?』(山川澄夫著・ワック)、『「モンスター新聞」が日本を滅ぼす』(高山雅之著・PHP出版)、『朝日新聞の大研究』(古森義久他著・扶桑社)など、出版の世界でも朝日新聞の報道姿勢に対する批判は枚挙にいとまがない。
また、去る6月6日、「朝日新聞とテレビ朝日が資本提携強化」というニュースが入ってきた。今後、報道ステーションなどテレビ朝日系の番組では、朝日新聞との連携が強化され、いっそう一定の方向性に沿った報道(見方によっては偏向)がなされていくことだろう。
解散・総選挙を目前に、批判的視点をもって新聞やテレビのニュースに接するべきだという意を強くする。また我々は、「国民の知る権利」に奉仕するという報道の使命に期待している。しかし新聞社やテレビ局は私的企業でしかない。せめてマスコミ人としての品格に立ち帰ってほしい……と考えるのは、横綱の品格と同様に夢物語か。
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古舘キャスターが、自民党の抗議に対して報道ステーションの番組内で「釈明」を行った翌日の6月10日、新聞各紙の朝刊の他、ネットニュースなどでも、採り上げられた。
「テレ朝 自民党抗議に釈明」(読売新聞)、「古舘キャスター『本意ではない』」(毎日新聞)のほか、日刊スポーツの文化・芸能面では、「古舘氏自民に謝罪なし」と、どの媒体も、謝罪ではなく、「釈明」でしかなかったことを明確にしている。日刊スポーツ等、釈明の文言を詳しく説明する記事もあったものの、「かりゆし画像」の取り違え(もしくは故意の挿入?)について言及しているものはなかった。つまり、報ステ・古舘氏の問題すり替え発言や意図にのせられた格好だった。
◆ 番組の思惑通りに「大人げない自民」へ非難が集中
これらマスメディアの影響もあってか、ブログやSNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)の日記では、ニュースを題材に個人によって語られた「自民・古舘へ抗議問題」は、自民党への非難の方向に向かっているものが多くみられた。
例えばこんな論調──
「ムキになっている自民党はみっともない」
「こんなことで自民党が激怒して(党役員会の)無期限撮影禁止するなんて大人げなさすぎる」
「私は、この番組が公平で正確な報道をしている番組と思っていませんが、今回の件では、テレ朝を支持します。理由は後期高齢者制度を支持していないからです」
「庶民の苦しみを知ってか知らずか、テレビカメラの前でへらへら笑っているなんてひどい。古舘さんは人間らしく思います」
極端なものになると、「言論弾圧」「言論封殺」などの激しい語調が踊っている。
こういった見方は国民だけではなく報道機関のなかにもあったようだ。
スポニチでは、「古舘氏に責任転嫁? 自民党テレ朝締め出し」のタイトルの記事中で、「過剰反応と言わざるを得ない。過去に遺恨があるテレビ朝日だから余計にムキになっているのでは。大人げない対応は国民に悪印象を与えるだけで逆効果だ」(Sponichi Annex/2008.06.07)と、政治評論家浅川博忠氏のコメントを紹介している。
しかし。こういった自民批判のブログや記事のなかでは、かりゆし画像の「取り違え」もしくは「故意の挿入?」についての言及は、すっぽり抜け落ちている。
感情的な論調が目立ち、報ステの「シカト作戦」に乗せられてしまったかのよう。繰り返しになるが、問題の核は、無関係の映像を挿入したことと、沈黙を経て問題発言へ続く「流れ」(演出)にある。
ニュースを題材に書かれた大多数の日記やブログの論調を見て、ある種の恐怖を覚えたという人もあった。「恐怖感」は、自分の頭でジャッジする力を奪われた国民・視聴者があまりに多すぎることに対してのものだ。我々も同感である。
◆ 冷静な反応の市民に耳を傾ける
一方、冷静な反応もなかったわけではない。
「私も長寿医療制度に反対。しかしそれとメディアの意識操作と洗脳は別物」
「古舘は、言い訳ばかりで何がいいたいのかわからない。印象操作は流してしまった。意図的に映像を使ったとはいえるはずないということか」
「わたしは後期高齢者(長寿医療)制度については再考の必要があると思っている。しかしテレ朝の行為は放送法違反」
「娯楽性を旨とする番組は国民の知る権利を著しく阻害している。番組の方にペナルティがかけられないのが不思議」
……等々。後期高齢者制度への賛否と番組の印象操作問題は別であることを明確に認識している。
また自民党の対応については……
「あそこまで印象で政治をかたる番組をつくられれば怒るのは当たり前。嘘を平気でたれ流すに等しい編集を平気でする訳だから」
「自民党を一般企業に置き換えれば、取材拒否は妥当。党内だけで国会ではないし、放送権を取り上げている訳じゃない」
と、極めて理路整然と、現実を直視している。しかしこういった意見はむしろ少数派だったことを残念に思わざるをえない。
◆ あらためて報ステ・古舘の倫理を問う
あるブロガーは、長寿医療制度に関し「誰が」「いくら」負担するかの議論では問題解決にならず、切迫した財政状況のなかで、医療費問題について根底から議論すべきと指摘。国のグランドデザインなど、議論のための材料を提供することなく、映像挿入による印象操作まで行うことに疑問を呈していた。
我々「報道とメディアを考える会」でも、番組録画の再視聴や文字おこし、新聞などの媒体の報道を検証・確認するなかで、同じ結論に至った。
つまり、「大人げない自民党」を演出することで、利するのは誰なのか……を冷静に考える必要がある。
名誉毀損にあたるかどうかは我々が判断するものではないが、少なくとも、「かりゆし談笑」映像と、明かにこの映像に被せた古舘らのコメントは、国民の立場のたった報道ではなく、実際に、国民の「知る権利」を阻害するものでしかない。また「釈明」報道によって映像問題を隠蔽し、視聴者の判断に任せるなどという「おためごかし」で「主張の上塗り」を繰り返したことは、さらに罪深い。
自民党の抗議がなければニュースにもならず、我々でさえも「かりゆし談笑」が後期高齢者医療制度(長寿医療制度)の会議時のものと、信じこまされた可能性が大きいことを、肝に銘じたい。
報ステ・古舘と自民党、どちらが視聴者・国民の立場に立った情報を提供したかは、明白だろう。
◆古舘氏は、誰に奉仕しているのか?
この連載についてメンバーで討議している最中、BPO(放送倫理・番組向上機構)から『BRC判断基準2008』が届いた。少しだけ紹介しよう。
■制作意図による事実の歪曲(Ⅰ企画・取材)
何らかのニュース性のある事件を契機に啓蒙的意図を持った番組を作ることは効果的であろうが、取り上げる事案がその制作意図にマッチするものであってはじめて効果があることであり、誤って制作意図にそぐわない事案を取り上げたときには、事案について正確を期そうとすれば、意に反して制作効果自体を減じることになるし、逆に制作意図に忠実であろうとすれば、意識するしないは別として、事実調査をおろそかにしたり、事実を歪曲することとなり、ひいては取り上げられた事案の当事者の名誉を毀損し、社会的評価を低下せしめ、その人権を侵害する結果を招くことになる。
■ 取材テープダイジェスト保存版による編集ミス(Ⅱ編集—1.事実の歪曲)
放送局は、番組の編集に当たり、事実を曲げないで報道する法律上の義務を負うものであり、素材テープのダイジェスト保存版から、さらに短縮編集するに当たっては、細心の注意を払って編集すべきであり、さらに編集されたVTRが、事実に即したものであるかについては、二重三重のチェック体制をとることが要請される
[関係資料]放送法第3条の2「国内放送の放送番組の編集等」3号「報道は事実をまげないですること」
自民党では道路特定財源問題で、BPOに検証要請したことあるが、BPOではこの審議を見送った(詳しくは5月2日の当ブログを参照)。この経緯から今回は、放送局を構成員とするBPOへの通告ではなく、撮影のみの取材拒否という「自衛策」をとることにしたのではないかと想像できる。
報道には「“国民の知る権利”に奉仕するという使命」があるとすれば、まさに放送法やBRC判断基準が示すように、「事実をまげないで」報道する倫理が確立できる別方策を検討するべき段階ではないのか。
それこそ古舘氏の口癖である「我々民間」では、ミスやトラブルが発覚した場合、以下のような対応をとる。
(1) 事実認識とすみやかな謝罪
(2) トラブルが発生した経緯や原因の徹底調査と公開
(3) 原因発生の分析に基づく対策を講じ、被害者に説明するとともに実行態勢を整える
(4) その他被害者(損害)に対する誠実な保障
以上の4点によって問題解決と再発防止を図り、顧客や社会の理解を得ながら、再生していくのだ。
報道ステーションの「かりゆし談笑」映像のケースでは、(1)の事実認識に止まり、謝罪はもとより、トラブル発生までの経緯を、視聴者にも説明するに至っていない。連載の(2)で伝えた「厚生労働省の記者会見」画像の取り違えについても、謝罪はあったものの、「なぜこうした事態が起き」「今後、どう対策を講じるのか」についてはスルーだ。
印象操作の直接の被害者である自民党ばかりでなく、私たち視聴者にも、謝罪と今後の再発防止策を提示し、徹底するのが報道の社会的責任からみても「スジ」ではないだろうか。
我々は、番組録画等の検証を通し、報道番組の代表ともいえる「報道ステーション」(テレビ朝日)でさえ、このありさまであったことに、憤りを覚えるとともに、深い哀しみにとらわれてしまった。しかもテレ朝や報道ステーション・古舘氏の問題発言は、何度も繰り返され、見過ごされ、また再発の可能性のほうが大きい。
狂騒するテレビ番組の煽情にのって、自民党をいたづらに非難しても、私たちの暮らしも、長寿医療制度も、よりよい方向に向かわない。
冷静に事実を直視する、そのためのちから=メディアリテラシー力をつけようではないか。
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6月9日(月)、報道ステーション(テレビ朝日)では、4日の放送で、自民党から抗議が来たことに対し、古舘氏自身が「テレビをご覧の皆様に説明したく、時間をください」と、釈明を行った。
◆ 「釈明」内容を振り返る
約4分間に及んだ釈明では、まず、問題箇所のVTR映像(=自民党役員連絡会で、かりゆしウエアで各委員が談笑している)を提示。この映像には、「報道ステーション6月4日放送」のほか、以下の放送時のテロップが被せられている。
「——後期高齢者で国が算出
驚きの数値7割が負担減」
「与党:9日参院で問責決議案可決の場合
→衆院に新任決議案を提出
→10日に可決成立の構え」
この後の古舘氏の発言を文字に起こししてみた。
* * *
このVTRの後です。えースタジオに来てカメラが私を捉えて私は「よく笑っていられますね、えらい政治家の人たちは」と発言をしました。それに対して自民党から抗議が来たわけです。
え、確かに、今ご覧いただいた自民党の党役員連絡会の映像は放送の前日の模様であります。
そして、開会前の雑談風景であり、後期高齢者医療制度について話し合って笑っている映像ではありません。したがって、自民党はそれが名誉の毀損にあたるというふうに抗議をしているわけです。
もし、そのように受け取られた視聴者の皆様方がいらっしゃるとすれば、それは私の本意ではありません。
私が発言した意図というのは、今、国政全般にわたって政治家の人たちが、笑っていられる局面など何一つない、多くの国民を痛めつけるような結果、長きにわたる政治の無策、そして果たして本当に血の通った政策・施策を行っているのか、様々な問題に対して真摯に対応しようとしているのか、その1点を申しあげたかっただけであります……
* * *
──というものだった。「釈明」の趣旨を整理してみた
(1) 発言の意図を説明しただけで、謝罪はない。
(2) 「かりゆし談笑」映像と「よく笑っていられますね」発言は本意ではなく、名誉毀損にあたるかどうかは、視聴者の判断。
(3) 関係のない映像を挿入したことは認めたが、これについて「間違い」で入れたという認識はない。
(4) 主張(=笑っている状況ではない)を説明するためには、別映像を挿入する手法は、「正当」という認識
我々の前回のレポートにある厚労省記者発表に関する「間違い画像」の時の「謝罪」と読み比べてほしい。前述の釈明のあと、古舘氏の発言は下記のように続く。
* * *
かくいう私も大変未熟です。この番組が始まって以来、多くの視聴者の皆様方からお叱りの言葉をいただき、それを糧に成長させてもらってきたと思っています。これからもそれで成長していくんだというふうに思っております。
私たちメディアも確かに様々な反省点があります。大いにあります。しかしこの局面にあって政治も私たちメディアもここは一つになってですね、国民にとってまず必要不可欠な政策、具体的なアイディア、国の方向は何なんだということをですね、前向きに一緒になって考えていくべき局面ではないでしょうか。皆様方は、どうこれに対して考えますか。
* * *
古舘氏は、別映像挿入については多くを語らず、問題を政治局面にすり替え、判断を視聴者にゆだねることで、自らと番組の正当性を主張するに至った。
古舘氏の発言にあるように、我々「報道とメディアを考える会」でも、現在は、「前向きに一緒になって考えていくべき局面」だと考える。
しかし、別映像の挿入によって、一定の意図に沿った編集が日常的に行われていると考えれば、「政争の具を再生産」していることにほかならない。
厚労省記者発表の画像の間違いについての古舘氏の謝罪を引用しよう。
「こういった基本的な間違いが度重なれば、これは、視聴者の皆様方を欺くことになってしまいます」
テレビはつくづく怖いメディアだ。
文字に起こせば判ることでも、市民の味方を演出した編集映像をたれ流すことで「かりゆし談笑」の件は隠蔽されてしまい、この後「大人げない自民党」のイメージが増幅されてゆくことになる。
真に視聴者・国民へ判断材料を提供する報道姿勢はどこにもない。
次回(最終回)は、ブログなど市民の反応について。
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6月4日、報道ステーションの後期高齢者医療制度についての報道で、問題となった古舘発言(=「よく笑っていられますねえ」)の箇所以外にも、故意に世論誘導をしたと思われる画像を挿入した箇所がある。
自民党では、5日午後に、古舘氏の問題発言箇所を指摘。この日の夜の報道ステーションでは、厚生労働省記者発表画像の間違いについて、キャスター古舘氏によって、謝罪が行われた。
前日のVTRも再現した。
ところが──。
どうみても映像編集のマジック(割愛など)を利用して、謝罪というよりは、さらに報ステなりの主張や、古舘氏の「市民の味方」という正当性のアピールが主眼。謝罪と銘打ちながら、元々の作為を上塗りする作業を行っているとしか見えなかった。
前回と繰り返しになるが、4日の当該写真について録画の再生から解説すると……。
後期高齢者医療制度について、この日に厚生労働省から発表された「サンプル調査」についてのニュースの冒頭で、画面に大きく映し出されたの右上スチール写真(A)だ。
写真Aは、青いカーテンをバックに、男性3人が、下や横を向いたような絵柄で、なんとも申し訳なさそうというか、やる気がなさそうというか、記者団と目を合わせられないといった構図で、そこに赤地に白抜きの文字で大きく「7割の世帯が負担減」の文字が躍っている。
そして数秒後には、右上に縮小された3人写真A、左下には、同じ青いカーテンのバックで、左から、男・男・女・男の計4人が並んだスチール写真(B)が同時に掲載され「厚生労働省午後3時過ぎ」のキャプションもある。
つまり、厚労省スタッフの、人員・人数の異なる写真A・Bが2枚同時に映し出された。
問題となった3人写真Aは、古舘氏が5日の番組で「私どもが間違えて掲げてしまったこの写真は、同じ会場で直前に行われた厚生労働省内の人口動態調査に関するものでありました。」と釈明している。
つまり、ケアレス・ミスという主張。4人の写真Bは、ニュースのテーマである後期高齢者医療制度の調査に関する記者発表時のもので、こちらは正しい。
2枚が同画面にあるのだから、私たち視聴者には垂れ流しされた一瞬の映像であっても、制作・編集サイドの人間が見れば、「不自然さ」に気づかないはずはないだろう。
果たして、一定の意図なくして、こんな「ミス」ができるのだろうか。
また5日の「謝罪」時に再現した放送では、写真Aから「7割の世帯が負担減」の文字の部分は消え、写真A・Bが同時掲載された部分も、割愛されていた。
まるでケアレス・ミスを信じ込ませるために、不都合な部分を割愛したように見える。
さらにいえば、3人の写真Aだけをアップで繰り返すことで、後期高齢者医療制度に関する(報ステなりの主張に沿った)「イメージづくり(=世論誘導)」に拍車をかけることを意図したと考えられる。
5日の古舘氏の謝罪シーンをテープ起こししてみた。
「こういった基本的な間違いが度重なれば、これは、視聴者の皆様方を欺くことになってしまいます。皆様方の信頼なくして、番組などありえません。深く反省して精進したいと思います。申し訳ありませんでした」
たいへんにご立派で正論。
しかし、週明けの月曜日(9日)には、もう一度「画像挿入の間違い」を釈明することになる。ちなみに5日の段階では、「自民党からの抗議があった」という事実は伏せられている。
おそらく報道ステーションの制作サイドでは、放送当日、自民党からの抗議とかりゆし写真に関する間違いについては無視し、厚労省画像の部分のみ訂正・謝罪する申し合わせがあり、その線に沿った謝罪が行われたと推測できる。
またシカト……あるいはウソの上塗り?
すでに画像挿入の間違いを「度重ねて(古舘発言より)」いることを隠した報道ステーション。きっとこの件についても「シカト」するに違いない。
次回は、9日の古舘「釈明」と市民の反応について。
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6月11日、民主党・社民党・国民新党の3党が提出した福田首相に対する「問責決議案」は参議院本会議で野党の賛成多数で可決された。翌12日の新聞各紙(全国紙)では、それぞれに大きく扱われていたものの、「宝刀の重み消え形骸化」(朝日)、「民主『儀式』、自民は軽視」(毎日)、「色あせた最強カード」(読売)、「小沢氏の“挑発”不発」(産経)など、小沢氏の目論見は、おおむね不発に終わったという見方だ。
「福田康夫首相問責決議案可決」について、11日の「報道ステーション」(テレビ朝日)では、7分42秒、「NEWS23」(TBS)では、オープニング等を含み、6分53秒の時間を割いた(資料:「テレビブログ」より)。
「報道ステーション」では
【発 言】民主党・簗瀬進参院国対委員長
【会 見】民主党・小沢一郎代表、福田康夫首相
【コメント】自民党・平沢勝栄議員
「NEWS23」では
【発 言】民主党・鳩山由紀夫幹事長、簗瀬進参院国対委員長、福田康夫首相、自民党・吉村剛太郎参院政審会長、小泉純一郎元首相
【会 見】民主党・小沢一郎代表、自民党・息吹文明幹事長
【コメント】社民党・福島瑞穂党首
【電話コメント】町村信孝官房長官
──という構成だった。
2大政党制が射程に入った衆院選を前に、視聴者のメディアリテラシーや有権者の投票行動に、どちらの番組が資するかを考えれば(この日の問責報道に限って言えば)、多様な立場の意見を採り上げていた方に軍配があがるだろう。
ところで、この2大ニュース番組を見ていて気がついたのが、同じ参議院本会議で13法案可決されたことについて、報道ステーションでは「オウム被害者救済法・成立」について触れただけで、他の法案には触れていなかったこと。NEWS23では、「改正少年法など13法案成立」のコーナーを設けて報じたほか、「有害サイト規制法案・成立」については、医師やデジタルコンテンツ制作会社、携帯・PCのプロバイダなどのコメントのほか、町村信孝官房長官の会見や民主党・玄葉光一議員の発言を盛り込むなど力の入ったものだった。
「ねじれ国会」のなか、問責決議案可決で国会審議が事実上止まることへの国民からの批判を回避するため、与野党一体となった「スピード可決」(「駆け込み処理」ともいう)。少年犯罪やペットフードの安全性、インターネットの有害サイト、アスベスト等、どれも昨今の社会問題や弱者救済の動き、世相や生活を反映した重要法案だ。番組制作者は、日々たくさんのニュースのなかから情報を取捨選択して番組を構成しなければならないことも、表現・編集の自由も理解している。しかし重要法案さえ割愛してしまう「報道姿勢」が闊歩していることには疑問を抱かざるをえない。
こうして2006年6月の「後期高齢者医療制度」成立も看過されてきたことを、私たちは忘れてはならないだろう。
※ ちなみに6月11日参議院本会議でスピード可決された「主な法案」は、以下の通り(順不同・法律名は通称等)。
【議員立法】
オウム真理教被害者救済法/青少年有害サイト規制法/改正地震防災対策特別措置法/改正被爆者援護法/ハンセン病問題解決促進法/改正石綿健康被害救済法/改正携帯電話不正利用防止法/改正地方自治法
【政府提出】
改正少年法/改正特定商取引法・割賦販売法/愛がん動物用飼料安全性確保法/改正空港整備法・航空法/改正学校保健法
【事後承認案件】
特定船舶入港禁止の実施/北朝鮮からの貨物に輸入承認義務を課す措置
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*長文御免。斜め読み推奨。
4月22日の光市母子殺害事件差戻控訴審判決に関する報道は、国民の深い関心のもと、多大な時間と量の情報がメディアを通して発信された。差戻控訴審をめぐる動向が、被害者・弁護人双方の記者会見や資料映像、有識者等のコメントを含め、マスメディアを通じて大きく伝えられてきたことが、いっそう広く社会的関心を高めることにつながったといえるだろう。
ところで、判決に先立つ4月15日、BPO[=放送倫理・番組向上機構]から「光市母子殺害事件の差戻控訴審に関する放送についての意見」というレポートが発表されたことを知る人は、数少ないのではないか。
BPOとは、NHKと民放連、民放連加盟会員各社によって組織された任意団体で、文字通り「正確な放送と放送倫理の高揚に寄与すること」を目的としている。4月11日のニュースで「児童の裸、特に男児の性器を移すことについて」注意喚起をした発信元といえば、分かるだろうか。
レポートは長文なので、「報道とメディアを考える会」の解釈で極端に要約すると──
光市母子殺害事件差戻控訴審の公判や集中審理を機に、マスメディア、とくに民放各局は、ニュース番組や情報番組で大きく採り上げてきたが、その内容のほとんどが被害者遺族の発言や心境に同調し、被告や弁護団に反発・批判するニュアンスが強い内容、つまり被害者遺族と被告・弁護団の法定外の対立構造や、被告・弁護団の奇異さをクローズアップするにとどまり、「集団的過剰同調番組」に陥る傾向にあった。
民主主義社会裁判の特徴である「当事者主義」(当事者=検察官/被告・弁護人)のもと、裁判は裁判所が主宰するという初歩的な認識に欠け、とくに検察官の主張や立証の内容を伝えたものが皆無であったことは、公正性・正確性・公平性を旨とする「放送倫理基本綱領」等を逸脱するばかりか、放送人の社会的責務として問題がある。裁判員制度導入を目前にしたいま、あらためて、事件・犯罪・裁判報道の重要性に立ち返り、前進することを希望する。
……というものだ。
この意見書は、昨年11月「『光市事件』報道を検証する会」から放送倫理上の問題点を検証するよう申し立てを受け、申し立ての18番組のみならず、第1回公判、第1回集中審理、第2回集中審理を機に放送された8放送局、20番組、33本、7時間半の放送録画について審議したもの。放送現場内側から問題点を捉え、その教訓を今後に生かすため、番組の制作スタッフへのヒアリング調査等も行っている。
以下、印象的だった文言を抜粋してみた。
* * *
*「命乞いのシナリオ」がどのような文脈や根拠から出てきているのかを掘り下げていないため、被告の奇異な発言だけが浮き彫りにされ、法廷審理で何が争われているのか、視聴者にはわからない構成になっている。
*番組制作者がそれでも死刑制度廃止論者が弁護人になったこと自体が重要テーマであると考えるなら、きちんとした取材に基づいて、それが批判に値する事柄であるという理由を示す必要がある。
*精神鑑定の際の発言は、それを基に鑑定人がどう判断したかこそがポイントだが、鑑定結果に関する紹介はない。
*感情のおもむくままに制作される番組は、公正性・正確性・公平性の原則からあっという間に逸脱していく。それはまた(中略)視聴者・市民の知る権利を大きく阻害するものとなる。
*被害者遺族が凛として入廷していく姿や、集中審理傍聴後の会見等で、愛する家族を失った無念さをにじませながらも冷静に語る様子には、誰しもが旨を打たれるものがあった。それだけにこの対比的手法には、刑事事件における当事者主義について視聴者に誤解を与える致命的な欠陥があった。
*スタジオの司会者やコメンテーターが、被告・弁護団を強く非難し、被害者遺族に同情・共感を示す──その繰り返しが基本になっている。これでは「悪いヤツが悪いことをした。被害者遺族は可哀想だ」という以上のことは伝わってこない。(中略)画面には、取材し、考察し、表現する者の存在感が恐ろしく希薄である。そのような番組しかなかったことに、委員会は強い危惧を覚えないわけにはいかない。
*気味の悪い事件・犯罪が頻発する今日、この安易な対比的手法は事件それ自体の理解にも、犯罪防止にも役立たないことは明らかであり、深刻に再考されるべきである。
*事件・犯罪・裁判を取材し、番組を制作する放送人たちが、テレビの凡庸さに居直るのではなく、(中略)いま立ち止まっているところから少しでも先へ進み出ることを委員会は希望する。
* * *
果たして、この意見書の内容が、判決時のマスメディア報道に生かされたかどうかは、各自の判断に任せよう。また意見書の内容についても、異論があるだろう。
しかしこれだけ耳目を集めている光市事件であるのに、「男児の裸」ニュースに比して、BPO意見がなぜ私たちに届いていないかは、着目の余地がある。
また、このBPO委員会決定(意見レポート)は、資料編を含めA4判40頁(1頁あたり約1300文字)に及ぶ。問題の重要性や所在を明らかにするほか、真摯に報道・放送のあり方を問い、未来への期待をもあふれる格調高い文章だ。40頁もの文書を、多忙な現場取材クルーやコメンテーターをはじめ、この報道に携わるスタッフが読んでいるとは思えなかった。
BPOには、ホームページに意見書全文を掲載するばかりでなく、一般市民・視聴者に届く情報発信を期待するとともに、加盟団体・放送局に対し、BPOの存在とその発信内容を、放送を通じて伝達するよう働きかけを願いたいものだ。
ちなみにタイトルに引用した「巨大なる凡庸」とは、33本、7時間半に及ぶ放送を見終わった後、委員会の席上で一委員がもらした感想だそうだ。
★BPO[放送倫理・番組向上機構]
http://www.bpo.gr.jp/
(レポートは、「委員会決定」の項からダウンロードできる)
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