日記・コラム・つぶやき

野党党首お膝元の廃屋

TVのワイドショーをつけっ放しでPCに向かっていたら、我々が白鳥大橋レポートのために滞在した町、室蘭市中央地区が「倒壊寸前の廃屋のまち」として話題になっていた。室蘭市の中央地区は、昭和40年代後半までは、「人の肩にぶつからずに歩けないくらい」賑わったという(元)歓楽街だが、いまや見る影もない。日中でも、夜の8時すぎでも、一人も見かけない瞬間があったくらいなのだ。
我々の取材中にも、(元)目抜き通りの交差点の角にある(元)拓銀支店の建物が、封鎖されたまま放置されているのを目の当たりにしたし、「大地震でもあったら一巻の終わり」といった風情の廃屋を何軒も見かけて恐怖を覚えた。無人と思われるビルや商店、住宅は、数しれない。
この廃墟のまちへとつなげるために建設されたのが、かの白鳥大橋(総工費1152億円)。その景観のあまりの落差にただただ唖然とするばかりだったことは、映像からくみ取っていただけるだろうか。
ワイドショーの番組内では、各地で問題となっている「町」の廃墟問題について、コメンテーターらは、いつものように、国や政権政党の責任を連呼する。が、シャッター通り商店街だけでなく、そのまちから車で2〜3分の周辺(=白鳥大橋)についてもレポートし、真の問題点を浮き彫りにしてほしい。
ちなみにこの番組では、間髪をあけず別コーナーで、政界を賑わす「2羽の鳩」(鳩山由紀夫・鳩山邦夫)の生い立ちやいきさつについてレポート。もちろん政権政党に批判的な視点を絡めながら、である。彼ら(制作・発信側)には一つの矛盾もないらしい。

[参考資料]
○札幌TV放送
http://www.stv.ne.jp/tv/dnews/past/index.html?idno=20090604155405
○室蘭民報
http://www.muromin.mnw.jp/murominn-web/back/2009/05/28/20090528m_03.html

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♪番外「独り言」──アンタッチャブルOZAWA

◆ 小沢代表&鳩山幹事長のホンネ漫才?

1か月ちょっと前の話──。こんなニュースがあった。

「『キミの財産をよこせよ』。政権交代を旗印にして次期衆院選に向けた対策を急いでいる民主党だが、選挙資金の金策に頭を悩ます小沢一郎代表が最近、冗談めかして鳩山由紀夫幹事長に私財提供を求める一幕があった。
 鳩山氏は政界でも有数の資産家だが、すかさず「代表も(東京都港区内などに複数保有するマンションなどの)建物を売ればいいじゃないですか」と反論。小沢氏は『売ってもそんなにカネにならないよ』と弁解したという。」(後略「msn産経ニュース」2008.5.29 00:27より)

「白鳥大橋」の映像レポートのための取材の際、寂しげな東室蘭の町中に、結婚式場かホテルかと見まがうようにそびえる「はとやま会館」(鳩山由起夫事務所)を見てきた我々は、TVニュースワイドによくある人形をつかって、このやりとりを再現したい衝動に駆られた。強面の小沢代表と、インテリ風の鳩山幹事長のかけあい漫才は、爆笑問題より面白いに違いない。
ちなみに、室蘭市の「はとやま会館」(ビルの表示にあった名称)に隣接して、イオン北海道(株)の大型ショッピングセンター「ポスフール」がある。人通りも少ない憂愁のまち「室蘭」にあって、なんとも異様な光景だった。

◆「小沢の隠し資産を暴いた週刊現代が全面勝訴」むむむ……?

室蘭市の「はとやま会館」が鳩山由紀夫民主党幹事長個人の所有する不動産かどうか、「いまのところ」我々の関知するところではないが、たびたび週刊誌などを通じて噂されてきたように、小沢代表が個人名義で所有している不動産への興味はつきない。
しかも、いまごろになって、ひっそりとこんなニュースをみつけた。

「新聞・テレビはほとんど報じなかったが、政界動乱の主役である民主党の小沢一郎代表にとって大きなダメージとなる判決が6月4日に下った。いわゆる小沢氏の不動産問題を取り上げた「週刊現代」の記事で名誉を毀損されたとして、小沢氏と民主党が講談社と著者の長谷川学氏らを訴えていた。その控訴審判決で、東京高裁(柳田幸三裁判長)が「記事は真実であり名誉毀損に当たらない」として1審の東京地裁判決を支持。小沢氏側の請求は棄却され、講談社側が勝訴したのだ。」(後略/総合情報誌[ザ・ファクタ]2008年7月号)

[ザ・ファクタ]の記事本文でも触れられているように、このニュース、ほとんど報道されなかった。産経新聞の阿比留瑠比さんの実名記者ブログにも、月刊Will8月号のジャーナリスト尾形真人氏の記事の紹介とともに、「実はうかつなことに、私はこの判決について当日は全く気付かず、ようやく2週間後になって関係者に聞いて知った次第でした。」(2008/06/29)とあるから、我々市民レベルに届かなかったのは、いたしかたないということか。

@Niftyの新聞記事横断検索で確認してみたところ、判決の翌日、6月5日に報道されたのは、わずかに8件。つまり共同通信のほかは、北海道新聞・秋田魁新報・静岡新聞社・中日新聞社(東京・大阪の2件)・中国新聞社・熊本日々新聞社は、文面からみて共同通信の配信を掲載したものだけだ。また、6月21日になって、ようやく全国紙のなかで、産経新聞が取り上げている。

◆メディア自身もアンタッチャブルになれ!

それにしても、こんな重大ニュース、なぜ、報道されないのだろう。
2大政党制が射程に入った選挙を控えているいま、政権交代を目指す政党の党首が信頼に足る人物かどうか、国民の関心がないはずがないだろう。
まだ、報道の使命が「国民の知る権利」に資することにあるとすれば、当然取り上げるべきニュースであるはずだ。

しかし、報道する側の作為とマスコミ諸氏の「アンタッチャブル」がここにある。民主党、とくに小沢代表については、「触れない」「報道しない」ことで、ある種の隠蔽や、世論誘導している面があるといえるのではないか。
例えば、先の岩手・宮城内陸地震で、不幸にも工事現場の作業員が亡くなった胆沢(いさわ)ダムは、小沢一郎氏の選挙区にある。この国土交通省事業は、これまで、民主党の国土交通省事業批判や、マスメディアで取り上げられたことはほとんどないだろうと思う。
「アンタチャッブル」が、まかりとおってしまう実態が存することについて、室蘭で「白鳥大橋」(白鳥新道計画)をまのあたりにしてきた我々はよく知っている。

ちなみに、Untouchableを辞書でひくと、
1 触知できない;手を触れてはいけない.
2 (遠くて)手の届かない, 禁制の.
3 触るのもいやな, けがらわしい.
4 非難の余地のない;手にあまる, 無敵の, 無比の;((米略式))買収のきかない;疑う余地のない.
                    (プログレッシブ英和中辞典)
──とある。

アル・カポネの摘発に向かったエリオット・ネスらの「アンタッチャブル」は、毅然としたあり方が印象的だった(早川文庫 ドキュメンタリー・ノベル/映画の原作)。しかし我がマスメディア自身は、(疑う余地のない)アンタッチャブルにも、なり得ない。

なぜマスメディアにとって小沢代表の問題が「ご禁制」になっているのか、探っていく必要があるだろう。
民主党が真に政権政党足りうるか──を判断するための、つまり自分自身の投票行動のための正確な情報が欲しい。
しかし「第4の権力」という名の「象」に立ち向かう「蟻」でしかないことも、よく判っている。
さてと……

[参照資料など]
☆総合情報誌[ザ・ファクタ]
http://facta.co.jp/article/200807042.html

☆msn産経ニュース
http://sankei.jp.msn.com/politics/situation/080529/stt0805290026000-n1.htm

☆はとやま事務所
http://www.hatoyama.gr.jp/indy_frame.html

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忠誠を尽くすべきは市民。あらためて「ジャーナリスト」考

メディアウォッチを始めてから、番組に登場する人の肩書きや役割の呼称が気になる。専門家のコメント等は○×に詳しい人と表されることもあれば、シンクタンク主宰であっても、権威付けのためか副業の大学講師と記されることもある。なかでも、報道番組視聴者にとって、いちばん馴染み深い「ジャーナリスト」という肩書きが気になる。田原総一朗(東京12チャンネル出身)も、筑紫哲也(朝日新聞社出身)や加藤千洋(現朝日新聞社)、鳥越俊太郎(毎日新聞社出身)、大谷昭宏(読売新聞社出身)も、みんなジャーナリストだ。
「ジャーナリスト」という言葉を調べてみると
「時事的な事実や問題の報道・評論を社会に伝達する活動をジャーナリズムと定義するならば」と前置きしたうえで、
「この活動を行う新聞、通信、雑誌、放送などの企業の従業員のうち、取材、評論および編集を担当する者(いわゆる新聞記者、雑誌記者、放送記者など)を一般にジャーナリストとよんでいる」(日本大百科全書)とある。ほかの辞書にも、「新聞・雑誌などの編集者・記者などの総称」(大辞林)とある。記者はすべてジャーナリストになるわけだが、どうやらメディアの肩書きでは、大新聞をはじめマスコミ記者経験者でフリーランスになった人を「ジャーナリスト」というのが主流らしい。

ところで、泥縄式ながらメディアと政治報道について解明しようとするなかで、単なるジャーナリズム批判に止まらず、マスコミ論や政治・社会理論を包括する良書に出会った。
『ジャーナリズムとメディア言説』(大石裕著・勁草書房,2005)。本書「ジャーナリズムの社会的位置づけ」の項には、社会が要請するジャーナリズムが実行するべき課題についての記述があった。

      *       *      *

1)ジャーナリズムの第一の責務は、真実を伝えることにある。
2)ジャーナリズムが第一に忠誠をつくすべき対象は市民である。
3)ジャーナリズムの真髄は、検証という作業を本義にすることにある。
4)ジャーナリズムに従事する者は、報道する対象から独立していなければならない。
5)ジャーナリズムは、独立した権力の監視役として機能すべきである。
6)ジャーナリズムは、批判や妥協が公的に行われる場を提供しなければならない。
7)ジャーナリズムは、重要な出来事を人々の利害や関心と関連させて報道しなければならない。
8)ジャーナリズムは、ニュースを包括的に、かつバランスを考えて報道しなければならない。
9)ジャーナリズムに従事する者には、自らの良心に従って行動する自由がなければならない。

出典:『ジャーナリズムとメディア言説』(大石裕著 勁草書房,2005)p23より抜粋(amazon図版)

      *       *      *

この指摘は、我々「報道とメディアを考える」メンバー個々に、あらためてメディアウォッチのための「視座」を与えてくれたことはいうまでもない。
また報道の主流が、新聞からTV番組やインターネットに移行し、報道のエンターテイメント性が強まるなかで、とくに(1)の真実を伝達する責務、(2)市民への忠誠、(3)検証作業を本義とすること等の「基本動作」、言い換えれば「倫理」は、ジャーナリスト諸氏があらためて胸に刻むべき時期であるようにも思える。

日本で「ジャーナリスト」という場合、業務内容や役割を超えて、その呼称自体が、個人の社会的評価であるかのような意味合いを含んでいるといえるだろう。
しかし、専門的職業人教育がなされる欧米ジャーナリストと異なり、日本のジャーナリストは現場でのOJTを通じて「たたきあげる」のが普通。いま報道番組で活躍しているジャーナリスト諸氏にもたたきあげの自負があるに違いない。
が、「このトレーニング(OJT)が機能不全に陥りつつあり、近年ではマスメディア業界人の技量や倫理をめぐる問題が頻発し、その必要性が叫ばれ始めている」(現代用語の基礎知識)。
放送法、業界自主ルール等のコンプライアンスはもとより、ジャーナリストとしての倫理観は、マスコミ各社の正社員記者のほか、外注制作プロダクションのスタッフに至るまで、いっそう徹底する必要があるのではないか。

明治から昭和にかけて、反権力を貫いたジャーナリスト宮武外骨は、自らの権力を悪用して私欲を働く媒体に対しては「ユスリ記者」と呼んだそうだ。

ここから得られる教訓は一つ。
ジャーナリストという肩書き(呼称)に惑わされるな、だ。

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著者:大石 裕
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♪番外Essay:自給自足を夢想できる町:おぼろ大橋レポート(4)

道路特定財源問題で、菅直人氏の視察により一躍全国的に有名になったおぼろ大橋。おぼろ大橋のある八女市上陽町は、耳納山系のだんだん畑の広がる傾斜地に、人口約3900人が暮らす中山間の町。山間部に人口の約40%が暮らし、高冷地の気候を生かした特産の高級煎茶「八女茶」のほか、椎茸、いちごなどを栽培している。

取材の後、上陽町市街地にある「ホタルと石橋の館」売店に立ち寄ると、おばあちゃんたちの名前のついた産物が並んでいる。米、古代米、もち米、あわなどの穀類、あずきや金時豆などの豆類、里芋などの芋類、大根や蕪などの根菜、菜の花やほうれんそうなどの青もの、つくしなどの山菜、ほかにしめじや赤唐辛子など。干し筍や椎茸、切り干し大根などの乾物も、ぜんぶ上陽町産でしかも手作り。ほかに、手作り味噌や漬物、おかず味噌、ざぼんの砂糖漬け、人気の木綿豆腐も。醤油は隣の黒川産。取材中、ずっとだんだん畑を眺めて移動していたこともあり、その種類の多さ、豊かさに正直なところ驚いてしまった。

そういえば山間地の斜面には、筍の畑(斜面を整地して規則正しく竹がならんでいる)も見かけた。また久間一正さん(お茶農家とおぼろ夢茶房経営)から「昔は肉牛もやっていた」と伺っていたので、市街地の「肉の山口」が、自家牧場で飼育する生産直売と聞いても驚くことはなかった。
我々の取材時期は、折しも中国製毒入りギョウザが世間を賑わせていた時期。食料自給率があらためて脚光を浴びるなか、牛嶋元町長の「山奥の一反二反の田畑はいらないのか」の言葉は強烈に胸に残ることになった。
また、旧道をたどって久留米市に出ると、いきなり我々には馴染み深い大都会が開けた。久間さんが「こんな近くに消費地があるのに……」とおっしゃっていた意味を思い起こすのだった。

医療の格差(救急搬送路の確保)、教育の格差(通学路の確保)、職業の格差(通勤路の確保)の解消を目指した道路計画は、集落に暮らす人の利益ばかりでなく、実は、久留米市という「都市」へ農産物の供給をもたらすほか、食育や体験など、豊かな自然環境が、まるごと都会の子どもたちの田舎になりうるという、もうひとつの恵みの側面をもっていた。
帰りの道すがら、農家レストランにメニュー提案するとしたら、どんなメニューがいいか(肉も地産しているから、金時豆のトマト煮込みや、ゆず胡椒風味サラダなど洋風もいいのではないか……)と考えつつ、いつのまにか自給自足の町を夢想していることに気づいたのだった。

さらに。
おぼろ夢茶房は、久間さんご自身が所有する山から切り出した木材でつくられた建物であったことを思い出した。これだけの中山間地だから、衰退したとはいえ林業も盛んな町。間伐材はバイオマスエネルギーになるだろうし、おぼろ大橋のたもとにある交流施設「ふるさとわらべ館」には、その立地や環境を活かした風力発電・ソーラーパネルもあった。エネルギーまでも地産地消できる可能性さえ秘めているのではないか。
日本という国がもっているこんな「宝」「底力」を、救急搬送に不安をもつ高齢者だけに委ねていていいのだろうか。

*スチール写真を掲載したので、こちらもご覧ください。

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