書籍・雑誌

★新聞記者の品格と報道〜千葉県知事会見をめぐって

■地方自治情報はネタもとにあたれ

Morita_3

 このところ、地方自治がマスメディアに採り上げられることが多くなったように思う。6月14日、31歳という最年少で当選した熊谷俊人氏の市長選もTVのニュースワイドの話題になっていたし、宮崎県知事や大阪府知事に加え、千葉県知事もなにかと露出度が高くなっている。「地方から国を変える」気運の高まりは大歓迎だが、気になることもある。
つまり、マスメディアの記者や制作者などによって「なにが」選ばれ「どう」伝えられるかだ。とくに新聞メディア報道は、「だれ」が発信しているのかあえて隠すという「匿名性」をもっているから、なおさらややこしい。こういった場合に我々がまず行なうのは、ネタモトにあたるという鉄則だ。メディアミックス時代のいま、我々市民・国民は、記者クラブには入れずとも、たいていの報道発表資料はネットを通じて入手できる。国や政党、自治体でも充実したホームページをもっているし、内容も多岐にわたっている。マスメディア記者など発信者のフィルターを通さずに、自分の目と耳と頭で情報をとらえる機会が与えられているわけだ。


■悪意に満ちた千葉県「情報隠し」報道

 そんななかネット配信で「森田知事会見動画、尻切れ 政治資金やパチンコはカット 県HP /千葉県」という朝日新聞の記事(2009年5月16日/ちば首都圏版=資料1=pdf)が目にとまった。ネット配信期限が切れているので、前文を紹介すると……

     *      *      *      *

 県の運営するホームページ(HP)で、4月30日と今月14日にあった森田健作知事の定例会見の動画が会見途中で終了している。就任直後の会見は冒頭から終了まで放送した。しかし、今回は政治資金の問題や知事が過去に主演したドラマをテーマとしたパチンコ台についての質疑部分が流れていない。県は「サーバーの容量の問題」としているが、知事の「マイナスイメージ」と取られかねない質疑のカットは「情報隠し」との批判を招きそうだ。
(安原裕人)

    *      *      *      *

「情報隠し」という強い表現に、(市民・国民の情報収集にとって)ゆゆしき事態か……と、同日の「知事定例記者会見概要」(テキスト版=資料2)を確認してみたところ、「おれは男だ」をキャラクター化したパチンコ台についての質疑応答は4月30日分に、ちゃんと記載されていた。

     *      *      *      *

(記者) 知事がメーンキャラクターのパチンコ台があるそうですが、それに関して、いつ依頼を受けて、どのような意図でオーケーをされたのか、伺いたいと思います。
(知事)それは3年前、これはサンミュージックプロダクション、私のプロダクションです。今、韓流も含めて、いろんなドラマだとか、いろんな人がパチンコの台でこういうのがあると、そういう話が来ました。ただ、そのときは森田健作というよりも、あのころの「おれは男だ」というドラマでやりたいんだと、そういう話をプロダクション側が受けたのです。それで、私もそれはいいんじゃないのと。
実は、パチンコ台が出る予定だったのが1年前だったのです。ところが、いろいろあって、今というか、もうそろそろかなと、そのように思っております。

出典:千葉県HP 知事定例記者会見 会見録(2009年4月30日)より

     *      *      *      *

テキスト版の会見録で、情報公開されているものが「情報隠し」にあたるはずがないだろう。いにしえのドラマのパチンコ台化は、知事選以前の芸能活動へのオファーであったことやサンミュージックプロダクションが権利主体であることも述べられている。また、16日の政治資金規制法に関する質疑も同様。(森田知事の政治資金管理団体の収支報告書のことだから)事務所に確認して答えると応じている。(資料2)

■芸能プロによるパチンコ台は県政……?

 知事の会見動画や会見録などを確認して、気づいたことがある。それは記者会見に参加しているマスコミ各社のうち、朝日新聞の記事を書いたY記者と、パチンコ台についての質問をした読売新聞のH記者の質疑応答が、突出して、トンチンカンであることだ(資料3)。
 いうまでもなく、県知事の記者会見は、県政についての発表と質疑応答を行なうために開かれている。4月16日を例にとれば、この日の会見テーマは「八都県市首脳会議の千葉県提案(東京湾アクアラインの値下げ)について」や「防災誌「関東大震災」〜千葉県の被害地震から学ぶ震災への備え〜の発刊について」など4項目。いかに彼らの質問がテーマと乖離しているか判るだろう。
 また、朝日新聞記事をみる限り、そういった質問は、あらかじめ意図されている可能性も否定できない。記事中ではテキストに掲載されている事実は隠蔽され、「情報隠しという批判」や「マイナスイメージ」(前出記事)を作り出すことが目的なのではないかと勘ぐりたくもなるのだ。付け加えれば用意周到に「批判を招きそうだ」という、断言を避けた、誰も責任を問われないような記述で締めくくっている。実際、いくつかのブログや掲示板サイト、ネットニュースサイトでは、「動画カット」や「情報隠し」の部分のみが一人歩きを始めている。まさに記者の意図のとおりに世論が動いているようにも見えるのだ。

 新聞をはじめとするメディアには、「権力のウオッチドック」としての役割があるといわれる。もちろん表現の自由もあるだろう。それにしても……正確さと品格に欠いた記事に翻弄されるのは、メディアの受け手である我々自身であるのだ。

■ 新聞記者の役割と品格を問い直す

 メディアにはおのずと媒体特性というものがある。しかし、パチンコ台も政治資金問題も、いずれも定例知事会見に参加する新聞社に相応しいテーマとは考えにくい。
 政治資金の問題であれば事務所(政治資金管理団体)に取材すればよいし、タレント活動についてであれば、所属芸能プロダクションに取材すればよいだろう。素人見では、こういった話題はたいてい、週刊誌にレポート記事が発表され、TVのニュースワイドなどが後追い企画を報じたり、月刊誌で議論されるような類(たぐい)のものだと思えるのだが、どうだろうか。
 新聞人は「正確と公正」と並び「品格と節度」が求められているというが(新聞倫理要綱:資料4)、本来のテーマからはずれた週刊誌的な質疑及び結果としての記事は、記者クラブという特権をもった大マスコミの記者がほんとうに「この場で」なすべきことだったのか。以下の政治報道についての記述は、国政を県政に読み替えれば、明快な回答を示している。

「政治報道とは何か。(中略)
簡単に定義すれば、憲法によって保障されている議会制民主主義の下、主権者である国民が選挙で選んだ国会議員と、国会議員などの政治家が構成する政党、内閣の下にある行政機関が、国会審議などを通じて、何を決めようとしているのか、あるいは、何を決めたかという事実を、早く正確に伝え、同時にそれが、日本の外交・内政に、主権者たる国民に、どのような影響を与えるのか、わかりやすく解説していく、ということだろう」
[日本評論社/浜田純一他編/新訂『新聞学』/第5章主要な報道分野とジャーナリズムの課題(西野秀):資料5より抜粋]

 一つの記事やニュースについて、ネタモトを確認し、調べるには大変な労力がかかる。しかしときには、当事者の情報発信=ネタモトをのぞいてほしい。あるいは、大マスコミの記者たちも、高邁な倫理観に反してこの程度であることを肝に銘じ、日々のニュースに接するべきだという教訓だけは生かしてほしい。

新聞学Book新聞学


販売元:日本評論社
Amazon.co.jpで詳細を確認する

続きを読む "★新聞記者の品格と報道〜千葉県知事会見をめぐって"

| | コメント (1) | トラックバック (1)

忠誠を尽くすべきは市民。あらためて「ジャーナリスト」考

メディアウォッチを始めてから、番組に登場する人の肩書きや役割の呼称が気になる。専門家のコメント等は○×に詳しい人と表されることもあれば、シンクタンク主宰であっても、権威付けのためか副業の大学講師と記されることもある。なかでも、報道番組視聴者にとって、いちばん馴染み深い「ジャーナリスト」という肩書きが気になる。田原総一朗(東京12チャンネル出身)も、筑紫哲也(朝日新聞社出身)や加藤千洋(現朝日新聞社)、鳥越俊太郎(毎日新聞社出身)、大谷昭宏(読売新聞社出身)も、みんなジャーナリストだ。
「ジャーナリスト」という言葉を調べてみると
「時事的な事実や問題の報道・評論を社会に伝達する活動をジャーナリズムと定義するならば」と前置きしたうえで、
「この活動を行う新聞、通信、雑誌、放送などの企業の従業員のうち、取材、評論および編集を担当する者(いわゆる新聞記者、雑誌記者、放送記者など)を一般にジャーナリストとよんでいる」(日本大百科全書)とある。ほかの辞書にも、「新聞・雑誌などの編集者・記者などの総称」(大辞林)とある。記者はすべてジャーナリストになるわけだが、どうやらメディアの肩書きでは、大新聞をはじめマスコミ記者経験者でフリーランスになった人を「ジャーナリスト」というのが主流らしい。

ところで、泥縄式ながらメディアと政治報道について解明しようとするなかで、単なるジャーナリズム批判に止まらず、マスコミ論や政治・社会理論を包括する良書に出会った。
『ジャーナリズムとメディア言説』(大石裕著・勁草書房,2005)。本書「ジャーナリズムの社会的位置づけ」の項には、社会が要請するジャーナリズムが実行するべき課題についての記述があった。

      *       *      *

1)ジャーナリズムの第一の責務は、真実を伝えることにある。
2)ジャーナリズムが第一に忠誠をつくすべき対象は市民である。
3)ジャーナリズムの真髄は、検証という作業を本義にすることにある。
4)ジャーナリズムに従事する者は、報道する対象から独立していなければならない。
5)ジャーナリズムは、独立した権力の監視役として機能すべきである。
6)ジャーナリズムは、批判や妥協が公的に行われる場を提供しなければならない。
7)ジャーナリズムは、重要な出来事を人々の利害や関心と関連させて報道しなければならない。
8)ジャーナリズムは、ニュースを包括的に、かつバランスを考えて報道しなければならない。
9)ジャーナリズムに従事する者には、自らの良心に従って行動する自由がなければならない。

出典:『ジャーナリズムとメディア言説』(大石裕著 勁草書房,2005)p23より抜粋(amazon図版)

      *       *      *

この指摘は、我々「報道とメディアを考える」メンバー個々に、あらためてメディアウォッチのための「視座」を与えてくれたことはいうまでもない。
また報道の主流が、新聞からTV番組やインターネットに移行し、報道のエンターテイメント性が強まるなかで、とくに(1)の真実を伝達する責務、(2)市民への忠誠、(3)検証作業を本義とすること等の「基本動作」、言い換えれば「倫理」は、ジャーナリスト諸氏があらためて胸に刻むべき時期であるようにも思える。

日本で「ジャーナリスト」という場合、業務内容や役割を超えて、その呼称自体が、個人の社会的評価であるかのような意味合いを含んでいるといえるだろう。
しかし、専門的職業人教育がなされる欧米ジャーナリストと異なり、日本のジャーナリストは現場でのOJTを通じて「たたきあげる」のが普通。いま報道番組で活躍しているジャーナリスト諸氏にもたたきあげの自負があるに違いない。
が、「このトレーニング(OJT)が機能不全に陥りつつあり、近年ではマスメディア業界人の技量や倫理をめぐる問題が頻発し、その必要性が叫ばれ始めている」(現代用語の基礎知識)。
放送法、業界自主ルール等のコンプライアンスはもとより、ジャーナリストとしての倫理観は、マスコミ各社の正社員記者のほか、外注制作プロダクションのスタッフに至るまで、いっそう徹底する必要があるのではないか。

明治から昭和にかけて、反権力を貫いたジャーナリスト宮武外骨は、自らの権力を悪用して私欲を働く媒体に対しては「ユスリ記者」と呼んだそうだ。

ここから得られる教訓は一つ。
ジャーナリストという肩書き(呼称)に惑わされるな、だ。

ジャーナリズムとメディア言説Bookジャーナリズムとメディア言説

著者:大石 裕
販売元:勁草書房
Amazon.co.jpで詳細を確認する

| | コメント (0) | トラックバック (0)

こんな本も参考にしています

テレビニュースの社会学―マルチモダリティ分析の実践テレビニュースの社会学―マルチモダリティ分析の実践

著者:伊藤 守
販売元:世界思想社
Amazon.co.jpで詳細を確認する


続きを読む "こんな本も参考にしています"

| | コメント (0) | トラックバック (0)